タブレットの使い道

タブレットの使い道は人それぞれだと思う。

私が初めてタブレットを持ったのは、無印の2代目ぐらいだったと思う。

紙の地図がわりにしたり、ブログを書いたりしていた。

もちろん調べ物も。

その頃のiPhoneは、今よりもかなり小型だったので、タブレットの大きな画面でいろいろやれるのが楽しかった。

大きいけれど、外へもどんどん持ち出した。

電車の中やカフェでも使っていた。

今ほどタブレットが普及していない頃だった。

それでも私は使うのが楽しかった。

時を経て、そのタブレットはもう使わなくなってしまったが、別のものに取って代わった。

その頃とは違い、外へ持ち出すことは無くなった。

パソコンを使うまでもない作業は、タブレットでやっている。

YouTubeを視聴したりとか、Amazonプライムビデオを視聴したりなど。

読書なんかもしている。

調べ物も少し。

ブログは、キーボードのついたタブレットでやっている。

たくさん持っているので、どれも皆順番待ちである。

今は、パソコンでブログを書いている。

パソコンがネットに繋がったら、タブレットの通信が切れてしまった。

同時に使うことはないから、そのままにしておこう。

使い道は、私にとってはコンテンツ消費といったところだろうか?

ネットショッピングなんかは、なぜかスマホでやっている。

アプリを使うので、スマホの方が都合がいいのだ。

イラストとかは描かないので、ペンは持っているけれど、ほとんど使っていない。

メモアプリは、純正のメモアプリで十分な気がする。

課金をして、グッドノートを一時的に使っていたが、使うのが早すぎた。

無駄な課金は、整理した。

いろいろなデバイス(ガジェット)を持っていると、維持していくだけでも大変だ。

それでも使う楽しみがあるので、使っている。

歳をとるって、悪いこと?当たり前なんじゃないの?

歳をとるのは、誰しも平等に起こりうることで、当たり前のことだと思う.

幾つになっても、若々しくいられることも大事だと思う。

けれども、なんだかそういうことをサボっている人に、厳しい。

私だって、好きでズボラ(ノーメイクとか)しているわけではない。

毎日洗顔だけはしている。

服装は、体重が激増してしまったために、ゆったりめの服を着るしかなかった。

上も下も。

仕事を辞めてしまったことも、体重激増の原因の一つであったかもしれない。

けれども、どれだけ一生懸命やっていても、評価されないのであれば、続ける意味はないと思って辞めた。

収入がなくなってしまうのは嫌だったけれど、神経をすり減らしてまでやる仕事ではないと思った。

ちょっとでもその仕事に、楽しみとか喜びを感じられれば、もう少し続けたかもしれない。

所詮パートだし、時給が上がったとしても大したことではない。

仕事の内容よりも人間関係の方が難しいから。

最後の職場ほど人間関係が難しかったところはなかった。

その直前の職場がいいところだっただけに、落差がはげしかった。

2年半も続けるつもりは毛頭なかった。

引き止められても、自分の意思を主張すれば良かったと思う。

そうしていれば、今膝の痛みを抱えなくても良かった。

その当時の私を引き留めた店長を恨みたいくらい。

恨んだところで、膝の痛みが軽減されるわけではないけれど。

でも恨みたいなと時々思う。

歳を取ったからと言って、働ける場所を制限する今の世の中もおかしい。

最近また洋書を読まなくなった

いっときは読んでいたのに、最近また読まなくなった。

英語の勉強をサボっているから。

英語の勉強も身が入らなくなった。

行く度に、「コース変更しますか?」とかいちいち聞かれるので、やる気がなくなってしまった。

もうTOEICの勉強はやめてしまった。

英会話をやめるのも時間の問題かもしれない。

継続する気はもうない。

うるさいこと言われるのなら「もうやめます」とはっきりいう。

自動引き落としを「停止」なんて緩いことはしない、やめてしまおうと思う。

月謝も高いし、けれども安いコースに変える気はもうない。

うるさく言われ始めた去年のあの日から、やる気がなくなってしまった。

だからもうやめようと思う。

それでも洋書はまた読もうと思っている。

洋書なら家で読めるから。