パソコン教室に行った

MOS試験のエキスパート講座を受講した。

テキストが進んでいなくても、残り時間は「模擬試験」をやらなくてはならない。

1問ごとに答えを見たり、採点をしたりできるのはうれしいけれど、未受講の問題は常に答えを見ないといけないから、かえってストレスがたまる。

案の定、範囲の指定ミスで正解が出せなかった。

あと、教室のパソコンの設定なのか、誰かがいじっているのかわからないけれど、ピボットテーブルの問題で、フィールドに項目をドラッグする問題がすごくやりにくかった。

休みの間にテキストは終わり近くまで進めておいた。

それでも模擬試験の問題は、解けなかった。

家では、このまま最後まで進めてしまって、模擬試験をどんどんやっていこうと思う。

まだ、未受講だが、Wordもどんどん進めておこうと思う。

スペシャリストレベルはWordははっきり言って「ギリギリ」だった。

テキストが今回、本番に近いものに変わったのはよかった。

まあ、自分で同じものを買ってしまったのだけれど、いちいち教室のバッグからテキストを取り出す手間が省けるだけいい。

資格を取ろうと思っているのは、年齢がいっていても、「パソコンできます」アピールをするための手段だ。

いくら口で言っても、わかってもらえないから。

去年の話だが、わざわざ訪問して登録に行ったのに、「スキルチェック」はしてもらえなかった。(職務経歴書を手書きで書かされた)。

それなら、オンラインで登録したほうがましだった。

しかも採用はしてもらえなかったし。(登録だけはできるのだ。選ぶのは向こう)。

教室とは別に、Powerpointのほうも勉強を進めておこうと思う。

教室で受講するかどうかはわからない。

オンライン講座一本に絞ってもいいと思っている。

パソコンの思い出

初めて使ったパソコンは、中古のノートパソコンだった。

とある家電量販店で、「家計簿ソフト」を買ったのだが、そのころ出始めた「Windows」対応のソフトだったので、すぐには使えなかった。

書店でパソコン雑誌を買ってきて、地元の個人のパソコンショップに行ってみた。

店長さんは、雑誌に載っていた通りとても親切な人で、ノートパソコンに「Windows3.1」

をインストールすれば、ノートパソコンで家計簿ソフトを使えるようになるということだった。

夫は渋い顔をしていたが、とりあえず了承してくれたので、お願いすることにした。

無事にインストールも終わり、家計簿ソフトを使い始めたのだが、パソコンをいじっているときに、娘が「ママ、お茶ほしい」と言ってきたので、お茶を注いであげたら、何とパソコンのキーボードにかかってしまった。

キーボードの一部のキーがちゃんと機能しなくなってしまい、使えなくなってしまった。

次に迎えたパソコンは、ちゃんとお金を出して買ったパソコンだ。

ただ、デスクトップパソコンで、価格も安めだった。

家に届けてもらい、セットアップは自分でやった。

Windows95がインストールされたパソコンだ。

なぜかリモコンがついていた。

しょっちゅうフリーズしたり、音が出なくなったり、モデム(懐かしい)内蔵なのに、通信ができなくて(パソコン通信が主流だったころ)、家電量販店で、モデムを買い足した。

パソコン通信から、インターネットに移り変わるころだったから、私もインターネットにつなげる設定をしたら、割と簡単にできた。

まだ、光ファイバーとかWi-Fiとかがない頃だった。

それでも、デジタルカメラで撮った画像を保存したり、プリンターで印刷したり、ウェブサイトを作ったりして、結構使ったほうだと思う。

その後は、ノートパソコンを買ったりして、ADSLとかも取り入れたりして、ネットワークとかも構築したりした。

まあ、結構子供をほったらかしていたと思う。

そのころ、パソコン教室に通ったり、インストラクターにスカウトされたりして、パソコンライフも充実していった。

外付けドライブとかも増設した。

そして、パソコン組み立て(自作)にも挑戦した。

そのパソコンは最後は、起動しなくなってしまったが、捨てずにそのまま保管してある。

ディスプレイは別に買って用意したので、しばらくほかのパソコンで使っていたが、ディスプレイも動かなくなってしまった。

それからは、自作はやめて、本体のみを購入するということをやった。

ディスプレイは自分で気に入ったものを購入した。

Macにはまり始めたのも、そのころだった。

最初は、ノートパソコンを買って、使っていたが、だんだんと使わなくなってしまった。

Wi-Fiも使えていたはずなのだが、OSのアップデートができなくなってしまった。(容量の問題)。

Macはその後も、ノートパソコンを2回くらい買って、買取ショップで売るということを繰り返して、今は、デスクトップパソコンがある。

MOS試験は、Mac非対応なので、MOS試験の勉強を始めてからは、起動すらしていない。

もったいない話だ。

自分の人生を楽しんで何が悪い!

私の人生は私のものだ。

ほかのだれのものでもない。

私が楽しくなければ、楽しくないのだ。

逆に私が楽しければ、楽しいのだ。

一度だけの人生だから、楽しく過ごしたい。

誰かを犠牲にしたとしても。

その誰かのためにも自分が楽しい人生を送らなければと思う。

私が幸せでいてくれれば、犠牲になったかいがあると、あの人ば思ってくれればだけれど。

むしろ、私を不幸のどん底に落としてても自分が幸せになりたいとあの人が思っているのなら、私は自分の人生を終わらせるしかない。

私が自分の人生を終わらせてしまえば、あの人は二度と幸せにはなれないし、今の居場所を追われることになる。

私が死ぬことを考えているなんてあの人はつゆほどにも考えていないだろうが、私を追い詰めたら、私は自分を殺すことをいつでも考えている。

人を殺すのは嫌だ。でも自分を殺すことは私の自由だ、だれにも止めることはできない。

止めることができるのは私自身なのだ。

私は、一つのことを考えている。

それは誰も知らない土地に行って、だれにも知られることもなく、身元不明になって野垂れ死にすることだ。

みもとがわかったときには、わたしは骨になっている。

無縁仏に入れられている。

そのほうが私にとっては気が楽なのだ。

そんなことを考えているなんて、夫も娘たちも、今施設にいるあの人にもわからないだろうけれど、私はいつしかそう考えるようになった。

私には誰も頼る人なんていない。

犬だって、私よりは先に死んでしまうだろうし。

そうしたら私は大手を振って仕事を辞められるし、夫の元を離れて、どこか知らない街に行こうと思う。

夫は悪い人ではないけれど、私の本当の気持ちを分かってはくれない。

娘たちだって、本心では私のことなんてどうでもいいと思っている。

まあ、私の思い込みだといいのだけれど。

だから今のうちに、この家を居心地のいい場所にしておきたい。

私がいなくなっても夫が快適に暮らしていけるように。

できれば、私よりもあの人(施設にいる人)が先にあの世に行ってほしいけれど。

しぶとく生き続けるなら、私が先にあの世に行ってしまおうと思う。

そうすれば、念願かなって施設から出られるし。居場所はないけど。

私はあの人から解放される。

本当の意味で解放されるのは、私かあの人のどちらかが死ぬ時だと思う。

残念なことだけど。

犬が生きているうちは、私は幸せなふりをして、生活していこうと思う。

犬を二度と不幸な目にあわせたくないから。

ジャッキーのことは、今でも後悔している。

チェンには、後悔したくないのだ。

それだけは。