たった30分のレッスンだけれど、教室のレッスンはあまり楽しくない。
「正確に」弾くことを常に要求される。
私がマンドラとかギターを弾いていたのは、かなり昔のことだ。
おかげで、楽譜は読むことができる。
けれども、ピアノを習うのは全く初めてなのだ。
ドレミファソラシドは引けるが、最初のうちは「ドレミファソ」だけで良いと言われた。
5本の指だけで弾けるものを練習するということなのだろう。
5本指のトレーニングのところだが、結構退屈だ。
指の使い方を覚えるだけのトレーニングなので、何かの曲を弾くわけではない。
教材を取り寄せた(いわゆる「通信教育」)方の先生が出してくれているテキストの方が、基本のことから、指遣い、さらに簡単な曲の紹介まで(カエルの歌とか)してくれる。
カエルの歌はお馴染みの曲なので、両手で弾けるのが嬉しかった。
両方の手を同じ動きをするだけで弾けてしまうから。
おかげで、ベートーヴェンの「喜びの歌」も、平原綾香さんでお馴染みの「ジュビター」もなんとなく弾けるようになった。
おまけでついてきた楽譜が、ビートルズの「レットイットビー」で、動画も見られるようになっている。
まあ、「ドレミファソラシド」まで弾けないとできない曲ではあるけれど、どれも知っている曲なので、やる気は出る。
うまく弾けるかどうかではなく、楽しく弾けるかどうかなのだ。
単なる指の動かし方の練習にしても、お馴染みの曲だったら、練習も楽しい。
そういう意味では、教室の先生には悪いけれど、通信教育の先生に軍配が上がる。
ただ、一人で練習していると、「誰かに見られている」という「意識」がないので、先生の前で弾くだけでも、なんだか緊張してしまうのだ。
ピアノを「楽しんで弾く」のは、何も子どもだけに限ったことではない。
大人だって、ピアノは「楽しんで弾きたい」ものだ。
ピアニストを目指しているわけではない。
家族の集まりで、ピアノを弾いて楽しくできたらいいなと思っただけ。
たまたま、娘夫婦は吹奏楽に関わっているから。
ピアノとユーフォニアム(長女)とトロンボーン(長女の夫)だと、演奏会といっても何か足りないだろうが、娘はもう一人いて、フルートをかつて吹いていた。
そりゃ、コンクールは無理としても、教室内の発表会ぐらいは出たいと思っている。
ストリートピアニストなんて夢のまた夢だけれど、家で、自分が好きなアーティストの曲を奏でることができたら、いいなとおもう。
そのぐらい夢見てもいいのではないか。