3回目のワクチン接種

先週の土曜日、夜の時間帯にコロナワクチン(3回目)の摂取をした。

最初の2回までは「ファイザー」だったが、今回は「モデルナ」になった。

当然、「集団接種」である。

金曜日の夜に、ギリギリで予約(webから)をしたので、当日受付でちょっと「もたつい」た。

「情報がまだ更新されていないので」と言われたが、あまりいい気持ちはしなかった。

「別リスト」という付箋まで貼られたし。

接種後、20分ほど椅子で休んで家に帰った。

接種予約時間までに、解熱鎮痛剤(熱さまし)を買っておかなかったことを後悔する羽目になった。

家に帰ってすぐは特に変化はなかったけれど、いつもよりもかなり早い時間に休むことにした。

翌朝、最初は「微熱」だったけれど、徐々に(昼前)には「発熱」に変わり、最高で「38.6°」まであがった。

解熱鎮痛剤は夫に買いに行ってもらったし、食事の買い物もしてもらった。

解熱鎮痛剤はいいとして、食事は昼は「お好み焼き」、夜は「多めのお惣菜(唐揚げとかウインナーとか)」で、ご飯を炊いてくれたはいいけれど、「混ぜご飯(炊き込みごはん)」だった。

しかも、「置いておいたから」というだけで、すでに38℃を越した熱がある人に「取り」に行かせた。

私も、作るのが面倒くさい時には、惣菜を買ったりするけれど、大容量のお惣菜は買ったりしない。(食べきれなくて、残すのはもったいないから)。

特に熱があるときは、くどいものは食べたくないので、冷やし中華とかおにぎり(セット)ぐらいでよかった。

後、熱があるときは脱水を起こしやすいので、「水分」が必要なことは予想がつきそうなものなのに、買ってきてはくれなかった。

ワクチンの副反応による発熱で、コロナにかかったわけではないのに、酷いなと思う。

翌々日は、発熱まではいかなかったが、一日中「微熱」が出ていた。

3回目が一番副反応が強かったということだ。

たまたま、足を痛めていて仕事は休んでいて、リハビリのために通院中(接骨院)だったため、3回目(コロナワクチン)を摂取するのは「今」しかないと思った。

まあ、とりあえず接種が終わってよかった。

「4回目」もあるのだろうか?

パソコン、タブレット、スマホが好き

パソコンは、企業や小学校などに導入される前から使っていた。

タブレットはスマホを使い始めてから、使うようになった。

スマホを使い始めたきっかけは、朝の情報番組で紹介されていたから。

ちなみに、パソコン、タブレット、スマホは、MacもWindowsも、iOSもAndroidも使える。

両方持っている。

光ファイバー網もWi-Fiも使える。

一時期は、家庭内LANも構築していた。

プリントサーバーも使っていた。

だからこそ、そういう仕事に就きたいのだ。

年齢がなんだというのだ。使えるものは使えるんだから。

オンライン講座も受講しているけれど、結構楽しく勉強させてもらっている。

マンツーマンでないのが残念だけど。

自分の人生を楽しんで何が悪い!

私の人生は私のものだ。

ほかのだれのものでもない。

私が楽しくなければ、楽しくないのだ。

逆に私が楽しければ、楽しいのだ。

一度だけの人生だから、楽しく過ごしたい。

誰かを犠牲にしたとしても。

その誰かのためにも自分が楽しい人生を送らなければと思う。

私が幸せでいてくれれば、犠牲になったかいがあると、あの人ば思ってくれればだけれど。

むしろ、私を不幸のどん底に落としてても自分が幸せになりたいとあの人が思っているのなら、私は自分の人生を終わらせるしかない。

私が自分の人生を終わらせてしまえば、あの人は二度と幸せにはなれないし、今の居場所を追われることになる。

私が死ぬことを考えているなんてあの人はつゆほどにも考えていないだろうが、私を追い詰めたら、私は自分を殺すことをいつでも考えている。

人を殺すのは嫌だ。でも自分を殺すことは私の自由だ、だれにも止めることはできない。

止めることができるのは私自身なのだ。

私は、一つのことを考えている。

それは誰も知らない土地に行って、だれにも知られることもなく、身元不明になって野垂れ死にすることだ。

みもとがわかったときには、わたしは骨になっている。

無縁仏に入れられている。

そのほうが私にとっては気が楽なのだ。

そんなことを考えているなんて、夫も娘たちも、今施設にいるあの人にもわからないだろうけれど、私はいつしかそう考えるようになった。

私には誰も頼る人なんていない。

犬だって、私よりは先に死んでしまうだろうし。

そうしたら私は大手を振って仕事を辞められるし、夫の元を離れて、どこか知らない街に行こうと思う。

夫は悪い人ではないけれど、私の本当の気持ちを分かってはくれない。

娘たちだって、本心では私のことなんてどうでもいいと思っている。

まあ、私の思い込みだといいのだけれど。

だから今のうちに、この家を居心地のいい場所にしておきたい。

私がいなくなっても夫が快適に暮らしていけるように。

できれば、私よりもあの人(施設にいる人)が先にあの世に行ってほしいけれど。

しぶとく生き続けるなら、私が先にあの世に行ってしまおうと思う。

そうすれば、念願かなって施設から出られるし。居場所はないけど。

私はあの人から解放される。

本当の意味で解放されるのは、私かあの人のどちらかが死ぬ時だと思う。

残念なことだけど。

犬が生きているうちは、私は幸せなふりをして、生活していこうと思う。

犬を二度と不幸な目にあわせたくないから。

ジャッキーのことは、今でも後悔している。

チェンには、後悔したくないのだ。

それだけは。