洋書は高校時代から読んでいた

要所は高校時代から読んでいた。

翻訳が出ている作品もあったし、そうでない作品もあった。

昔の(高校まで同じ学校)同級生からは「私だったら、辞書と首っ引きじゃないと読めないけどね」と言われた。

それだと、最後まで読めないのに。

同級生という言い方をしたのは、その人のことを友達だとは思っていないから。

すでに故人になってしまったけれど、もう友達とは呼べない。

その割には少しは付き合いが(結婚後も)あったけれど。

そんな言い方をしてきたのは、その人だけだった。

他の人たちからは「変わってるね」みたいにしか思われていなかった。

卒業後就職した会社は、電話応対が主な仕事だったので「暇な時は好きなことをしていていいよ」と雇い主から言われていたので、洋書を読んでいたのだが、出入りの営業(保険の)さんからは「ボケ防止ですか?(まだそんな歳じゃないのに)」なんて言われたものだ。

洋書を読んでいても仕事には結びついていなかったから、親からも馬鹿にされていた。

「英文科ではなく家政科にやりたかったのに」とも言われたが、そういう教科ははっきり言って苦手だった。

そのくらい英語は好きだった。

一時期嫌いになりかけたが、短大は英文科に進んだので。

それを活かせる仕事には就けなかったが。

趣味として原書を読むのは誰にも迷惑はかからないのだし。

ちゃんと働いて給料はもらっていたので。

結婚してからも洋書は買ったのだけれど、色々忙しくて読む暇がなかった。

今になってやっとその時間が取れたというか。

だったらとことん楽しんでみようと思う。

聴く読書は意外に面白い

オーディブルというアプリを使って、聴く読書をしている。

聴いている本は、シャーロックホームズだ。

馴染みのある本の方が聴いていても、飽きてこない。

それでも何回か中断した。

聴くだけとはいっても、1時間ぐらいずっと聴き続けていなければならないので。

日中よりは、夜の方が集中できるかもしれない。

できれば女性のセリフは女性にして欲しいものだけれど。

男性が女性のセリフを言っているのは、なんだか変な気がする。

そう思っているのは私だけなのか?

昔読んだのだけれど、あまり記憶に残っていなかった。

聴くと、ああそうだったと思い出す。

初めて、コナン・ドイルの作品を読んだのは(もちろん翻訳で)、小学生の頃だった。

コナン・ドイルのシャーロックホームズものは、ほとんどが短編なので、読むのに苦痛は感じなかった。

子ども向けに書かれた(訳された)本で、学校の図書館に置いてあった。

市の図書館で借りて読んだこともあるし、自分で買ってきたこともある。

今では電子書籍として、私のデバイス(タブレットやスマホ)に保存されている。

洋書版も持っている。(読み終えてはいない)。

聴く読書で、英語版も聴いてみたいものだ。